過去の大会PAST TOURNAMENT
日本プロ歴史年表HISTORY
- 年代
- 優勝者・開催地
- ハイライト・その他
- 全英オープン
全米オープン
全米プロ優勝者 - 主な出来事
- 2018
(平成30年) - 谷口 徹/房総・東
- 50歳のベテラン・谷口徹が、6年ぶりのツアー通算20勝目、日本プロゴルフ選手権通算3勝目を飾った。トップと2打差で迎えたサンデーバックナイン。17、18番でバーディーを奪い、渾身のガッツポーズで藤本佳則に通算6アンダーで並ぶと、プレーオフ2ホール目で退け戴冠。感涙にむせび泣く姿が印象的だった。50歳92日での日本プロ優勝は、96年尾崎将司の49歳109日を上回る大会最年長Vとなった。
- フランチェスコ・モリナリ
ブルックス・ケプカ
ブルックス・ケプカ - 平昌五輪が行われ、日本は冬季最多13個のメダルを獲得。フィギュアで羽生結弦が連覇を達成、カーリング女子が銅を獲得し「そだねー」は新語・流行語年間大賞に輝いた。テニスの大坂なおみが、4大大会で日本人初となる全米オープン制覇、大谷翔平がメジャーで新人王に輝くなど、世界で日本人アスリートが活躍。一方、アマスポーツ界では、日大アメフト部やレスリング、ボクシングなど相次いで不祥事が起きた。北海道で観測史上初となる震度7、西日本各地を記録的な豪雨が襲うなど、全国的に天災の多い一年でもあった。
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- 2017
(平成29年) - 宮里 優作/かねひで喜瀬
- 沖縄の星・宮里優作が通算12アンダーで逆転優勝!2戦連続V、13年ゴルフ日本シリーズに次ぐ日本タイトル2冠目、ツアー通算5勝目、自身初の年間複数回優勝を逆転劇で、もぎ取った。宮里は初日こそ27位タイと出遅れたが、2日目に66をマークして3位に浮上。第3ラウンドは日没サスペンデッドになり、混戦模様を呈したが、最終ラウンドも66のビッグスコアを叩き出し、2位に3打差をつける快勝となった。
- ジョーダン・スピース
ブルックス・ケプカ
ジャスティン・トーマス - 相撲界が話題を集め、稀勢の里が横綱に昇進。白鵬が歴代単独1位の通算1048勝。横綱日馬富士が暴行事件で引退、その後、大きな騒動に発展した。陸上の桐生祥秀が、100メートルで日本勢初の9秒98を記録。フィギュアスケートの浅田真央が現役を引退。プロ野球では大谷翔平が米大リーグ・エンゼルスへ入団を果たす。将棋界が注目され、加藤一二三九段が現役を引退、藤井聡太四段が前人未到の29連勝、羽生善治棋聖が、史上初の永世七冠を達成した。政治では衆院選で自民党が大勝。1月に就任したトランプ米大統領が、11月に初来日を果たした。
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- 2016
(平成28年) - 谷原 秀人/北海道クラシック
- 通算22アンダーで並んだ谷原秀人が、武藤俊憲とのプレーオフを制し、悲願の日本タイトル初優勝を果たした。初日から3日間、首位を走っていた武藤が、最終日も前半から5連続バーディーなど着実にスコアを伸ばし、完全優勝が目前かと思われた。しかし、二度にわたる中断が後半、武藤のリズムを狂わせ、谷原の“諦めない心”も勝り、スコアが並んでプレーオフ決着へ。1ホール目、武藤のボギーに対し、パーセーブした谷原に軍配が上がり、歴史に残る死闘を制した。通算20アンダーの宋永漢が3位に。4日間、この3人がトップ3を守って演じた激闘が、大会を大いに盛り上げた。
- ヘンリク・ステンソン
ダスティン・ジョンソン
ジミー・ウォーカー - 北海道新幹線が開業し、東京-新函館北斗間が最速4時間2分で結ばれた。4月、最大震度7を観測する熊本地震が発生。多くの犠牲者と、文化財の損壊が相次いだ。7月、小池百合子が女性初の都知事に就任。築地市場の豊洲移転問題や、2020年東京五輪・パラリンピックの開催経費削減に取り組む。リオ五輪では日本が史上最多のメダル41個(金12、銀8、銅21)を獲得。また、ポケモンGOの日本での配信が開始され、一大ブームに。芸能界では不倫報道の目立つ一年となった。
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- 2015
(平成27年) - アダム・ブランド/太平洋・江南
- オーストラリアのアダム・ブランド(32)が、日本プロ初出場で初優勝を果たした。2日目から首位に立ったブランドは、3日目には2位に6打差と独走状態に。最終日こそ一つスコアを落としたが、追いかける選手も伸びず、通算16アンダーの268をマーク。2位の李尚熹(23)に3打差をつける快勝だった。日本プロのオーストラリア出身選手として初めての優勝で、レフティーとしても初めての優勝になった。3位には通算12アンダーの藤本佳則(25)が入り、3日目2位の川村昌弘(21)は通算11アンダーで4位タイ、岩田寛(34)は通算9アンダーの11位タイだった。前年覇者の手嶋多一(46)は通算6オーバーの70位に終わった。
- ザック・ジョンソン
ジョーダン・スピース
ジェイソン・デイ - 北陸新幹線が開業し、東京-金沢間が最速2時間28分に。第153回芥川賞は、又吉直樹さんが「火花」、羽田圭介さんが「スクラップ・アンド・ビルド」で受賞。2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設計画が、総工費の大幅増により白紙撤回。また、大会エンブレムも使用撤回を発表して再公募となった。集団的自衛権の限定的な行使を可能にする安全保障関連法が成立。共通番号制度関連法も施行され、マイナンバー制度が始まった。ラグビーのW杯では、日本代表が3勝を挙げる歴史的快挙。五郎丸ポーズが話題に。
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- 2014
(平成26年) - 手嶋 多一/ゴールデンバレー
- 初日はこの大会を2度制している谷口徹が4アンダー68で首位に立った。1打差で金亨泰が続き、大会ホストプロの池田勇太は3打差5位と好位置で発進した。2日目は最終予選から出場の大田和桂介が6バーディ、1ボギーの5アンダー67をマークし、通算6アンダーで金とともに首位に立った。1打差で谷口徹らが追走。3日目、手嶋多一が3アンダー69で回り、通算8アンダーで単独首位に立った。1打差2位に小田孔明と李京勲、2打差4位に金がつけた。最終日は手嶋、小田、李の争いとなり、終盤に小田、李がスコアを落とし、手嶋が通算9アンダーで大会初優勝を果たした。1打差2位は小田と李、池田は通算1オーバーで14位だった。
- ローリー・マキロイ
マーティン・カイマー
ローリー・マキロイ - 4月に消費税率が1日、5%から8%に上がった。増税後は個人消費が低迷し、国内総生産(GDP)速報値は4~6月と7~9月の2四半期連続のマイナス成長に。6月、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会が21日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を世界文化遺産に登録することを決めた。10月、スウェーデン王立科学アカデミーは7日、青色発光ダイオード(LED)を開発した名城大学の赤崎勇教授と名古屋大学の天野浩教授、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授の3人にノーベル物理学賞を贈ると発表した。
-
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ゴルフ殿堂
コラム
- 2013
(平成25年) - 金 亨成/総武
- アウトを6バーディーの29で回った金亨成(韓国)が前日までの1オーバー17位から急上昇し、藤田寛之と松山英樹を逆転した。後半持ち直して15番で15メートルのパットを沈めた松山、前日の大たたきから復活した藤本佳則と4人が終盤激しい競り合いを演じたが、先に通算5アンダー279で上がっていた金がツアータイ記録の9打差の大逆転優勝、賞金3000万円を獲得した。
- フィル・ミケルソン
ジャスティン・ローズ
ジェイソン・ダフナー - 2020年度のオリンピック開催都市が東京に決定。前年12月から本年2月は寒冬傾向で、青森県酸ケ湯で最深積雪が歴代1位の566cmを記録。日本海側を中心としたアメダス12地点で、年最深積雪の記録を更新する豪雪となった。夏は記録的な猛暑で高知県四万十市でこれまでの国内最高気温を更新し、41.0℃を記録。また、気象庁の927観測点のうち143箇所でもこれまでの最高気温を更新するなど、各地で記録的な猛暑となった。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 2012
(平成23年) - 谷口 徹/烏山城
- 44歳のベテラン谷口徹が、4日間とも首位を守り抜き、通算4アンダー、284で完全優勝した。2010年に続き2度目の“プロ日本一”に輝いた谷口は、通算18勝目。メジャーは4度目のV。「25勝」の永久シード権まで“あと7勝”となった。2打差の5アンダーで出た谷口は前半2ボギーが先行、6番では追い上げてきた薗田峻輔に並ばれる苦戦だったが、8番で6メートルのフックラインを入れたバーディーで立ち直り、残りホールはすべてパーで凌いで逃げ切った。深堀圭一郎が、71で回って通算3アンダーとし、1打差の2位に入った。
- アーニー・エルス
ウェブ・シンプソン
ロリー・マキロイ - 全高634mの自立式の鉄塔としては世界1の東京スカイツリーが5月22日に開業。第46回衆議院議員総選挙が12月16日に行われ、野党第一党の自由民主党は294議席を獲得し、単独で絶対安定多数(269議席)を確保する大勝で第一党に返り咲いた。また、公明党の31議席と合わせて衆議院再可決が可能となる3分の2を超える325議席を獲得し、政権を奪還した。
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- 2011
(平成23年) - 河井博大/小野東洋
- 河井博大(かわいひろお 39)が前日からのトップを守りきり、通算9アンダーでツアー初優勝を飾った。トップタイからスタートした裵相文(べ・サンムン=韓国)は、スコアをひとつ伸ばしたものの7アンダーで2位に終わった。巻き返しが期待された大会ホストプロの池田勇太は、スコアをひとつ落とし通算1アンダーで5位タイに留まった。
- ダレン・クラーク
ロリー・マキロイ
キーガン・ブラッドリー - 3月11日、日本の太平洋三陸沖を震源として東日本大震災が発生。東日本を中心に甚大な被害をもたらした。またこの地震が原因で福島第一原子力発電所で炉心溶融および水素爆発が発生し、国際原子力事象評価尺度のレベル7(深刻な事故)に相当する多量の放射性物質が外部環境に放出された。
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- 2010
(平成22年) - 谷口 徹/パサージュ琴海 アイランド
- 谷口徹(42)が通算10アンダー、270でタイトルを獲得した。メジャー2冠を達成した谷口は、これでツアー16勝目。生涯獲得賞金も12億円を突破。最後まで競いあった平塚哲二(39)は1打差の2位に終った。大会2連覇を目指した池田勇太(24)は71とスコアを落とし、通算1アンダーで9位に終わった。
- ルイ・ウーストハイゼン
グレーム・マクドウェル
マーティン・カイマー - 日本人の鈴木章・根岸英一の2名がノーベル化学賞を受賞。日本男子プロゴルフツアー「中日クラウンズ」最終日石川遼が18ホールの世界ツアー最少ストローク58をマークし通算13アンダーで優勝。米国LPGAツアー「ショップライト・クラシック」で宮里藍が優勝し、米ツアー通算4勝目を挙げるとともに、翌日付の女子ゴルフ世界ランキングで、日本人選手初の1位となった。
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- 2009
(平成21年) - 池田勇太/恵庭
- プロ3年目の池田勇太(23)が、初日からのトップを守り抜いて通算14アンダー、2位に7打差をつけてツアー初優勝した。最終日は36ホール決戦となったが、池田は69、65と、この長丁場でもさらにスコアを伸ばす勢いのあるゴルフで完勝だった。
- スチュアート・シンク
ルーカス・グローバー
Y・E・ヤン - 米ロサンゼルスで行わた野球の世界一を争う第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本は韓国を5-3で破り、2連覇を果たした。
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- 2008
(平成20年) - 片山晋呉/レーサム
- 2日目にトップに立つた片山晋呉が、連日60台を連発してスコアを伸ばし通算23アンダー265で2位のW・リャンに6打差をつけて優勝。23アンダーは、1988年(愛媛GC)尾崎健夫の20アンダー(268ストローク)を更新する日本プロの大会レコード最多アンダー数。
- パドレグ・ハリントン
タイガー・ウッズ
パドレグ・ハリントン - 北京オリンピック開催。中華人民共和国四川省でマグニチュード8.0の地震が発生、多数の死亡者を出した。
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- 2007
(平成19年) - 伊澤利光/喜瀬
- 公式戦初の沖縄県開催となった大会は、初日トップに立った伊澤利光が首位を守り抜いて通算5アンダー、283で大会初優勝を飾った。05年のKBCオーガスタ以来、2年ぶりツアー通算16勝目。
- パドレグ・ハリントン
アンゲル・カブレラ
タイガー・ウッズ - サブプライムローン問題が世界経済を揺るがす。日本プロゴルフ協会創立50周年。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 2006
(平成18年) - 近藤智弘/谷汲
- 近藤智弘が通算10アンダーで並んだ友利勝良をプレーオフで下し、プロ7年目での初勝利をメジャーで飾った。ツアー施行後、初勝利が日本プロだったのは加瀬秀樹、合田洋に次いで3人目。
- タイガー・ウッズ
ジェフ・オギルビー
タイガー・ウッズ - 冬季トリノオリンピックのフィギュアスケート女子シングルで荒川静香がアジア勢初の金メダルを獲得。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 2005
(平成17年) - S・K・ホ/玉名
- 前年の覇者のS・K・ホが3日目にトップにたつと最終日も粘り強いプレーでトップをキープ、2位の谷原秀人に2打差をつけ2年連続“プロ日本一”の座を守った。2年連続優勝は大会史上8人目で、中嶋常幸以来21年ぶり。外国人選手の連覇はラリー・モンテス以来72年ぶり2人目。
- タイガー・ウッズ
マイケル・キャンベル
フィル・ミケルソン - 愛知万博(愛・地球博)が121カ国の参加で開催される。
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ゴルフ殿堂
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- 2004
(平成16年) - S・K・ホ/Kochi 黒潮
- 強い強風と濃霧が重なる悪天候の為、初日が中止となり最終日に36ホールが行われる予定だったが、最終日も濃霧などで結局18ホールに短縮して行われた今大会は、初日からトップに立ったS・K・ホが最終18番でバーディーを奪い、追いすがる深堀圭一郎を1打差抑えて通算14アンダーで逃げ切った。
- トッド・ハミルトン
レティフ・グーセン
ビジェイ・シン - 青木功が世界ゴルフ殿堂入りを果たす。新潟県中越地震が発生。
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ゴルフ殿堂
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- 2003
(平成15年) - 片山晋呉/美浦
- 昨年プレーオフで負けて悔しい思いをしてる片山晋呉は3日間単独トップを走る鈴木亨を最終日で捉らえ、通算17アンダーで念願の日本プロ優勝を地元茨城で飾った。
- ベン・カーチス
ジム・フューリク
ショーン・ミキール - 米英軍がイラク戦争を開始し、フセイン元大統領を拘束する。阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝する。
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ゴルフ殿堂
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- 2002
(平成14年) - 久保谷健一/KOMA
- 久保谷健一と片山晋呉が9アンダーで並びプレーオフへ。2ホール目に右手前バンカーからバーディを奪った久保谷が5年ぶりのツアー3勝目を飾った。EMCワールドカップがメキシコで開催。丸山茂樹・伊沢利光の日本チームが45年ぶりに優勝。
- アーニー・エルス
タイガー・ウッズ
リッチー・ビーム - アジア初のサッカーのワールドカップが日韓の共同開催で行われる。北朝鮮に拉致された5人が帰国、24年ぶりに家族と再会。
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ゴルフ殿堂
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- 2001
(平成13年) - ディーン・ウィルソン/ザ・クイーンズヒル
- 難しいコースコンディションで各選手のスコアが伸び悩む中、自分のゴルフで堅実にプレーしたD・ウィルソンが4日間通して首位をキープし栄冠を手にした。
- デビット・デュバル
レティフ・グーセン
デビット・トムス - 米中枢同時テロ発生。皇太子妃雅子さまが宮内庁病院で女子を出産。
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- 2000
(平成12年) - 佐藤信人/カレドニアン
- 佐藤信人は初日から3日間トップを走り続けた東聡を前半で逆転。後半の雷雨による中断後も冷静なプレーでリードを守り初のメジャー制覇を達成した。
- タイガー・ウッズ
タイガー・ウッズ
タイガー・ウッズ - シドニー五輪で女子マラソンの高橋尚子が金メダルを獲得。三宅島雄山噴火。一般住民に避難命令。
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ゴルフ殿堂
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- 1999
(平成11年) - 尾崎直道/ツインフィールズ
- 尾崎直道が1イーグル、4バーディ、3ボギーの通算5アンダーで逆転優勝。尾崎3兄弟が史上初1位~3位を独占。アンダーパーは上位3名のみだった。直道は日本プロ初優勝。
- ポール・ローリー
ペイン・スチュアート
タイガー・ウッズ - 茨城県の東海村で国内初の臨界事故。要介護認定が始まり、介護保険が実質スタートする。
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ゴルフ殿堂
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- 1998
(平成10年) - ブラント・ジョーブ/グランデージ
- 通算8アンダーで尾崎将司とB・ジョーブが並びプレーオフへ。1ホール目の18番ロングでジャンボはボギーとしてB・ジョーブが優勝。日本ツアー4勝、公式戦初勝利。
- マーク・オメーラ
リー・ジャンセン
ビジェイ・シン - サッカーW杯フランス大会に日本初出場。長野冬季五輪開催、日本選手金メダルラッシュ。
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ゴルフ殿堂
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- 1997
(平成9年) - 丸山茂樹/セントラル・西
- 3日目が終わり杉本周作、河村雅之、横田真一が首位で並ぶ。最終日、3名が伸び悩む中、丸山茂樹は7バーディ、2ボギーの67で大逆転。公式戦初勝利を挙げた。
- ジャスティン・レナード
アーニー・エルス
デイビス・ラブIII - 消費税の税率3%が5%にアップする。山一証券が破たん。事実上の倒産としては戦後最大。
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ゴルフ殿堂
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- 1996
(平成8年) - 尾崎将司/山陽・吉井
- 首位の尾崎将司を3打差で丸山茂樹が追う新旧のスター選手の対決となった最終日、丸山は4番をダブルボギーとし自滅。結局、通算18アンダーまでスコアを伸ばしたジャンボが今大会6度目の優勝。
- トム・リーマン
スティーブ・ジョーンズ
マーク・ブルックス - 尾崎将司が日本ゴルフ史上初の100勝達成。「O157」による食中毒が全国で発生する。
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ゴルフ殿堂
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- 1995
(平成7年) - 佐々木久行/夏泊
- 最終日、5打差4位でスタートした佐々木はインでの2イーグル、6バーディで63をマーク。大逆転の通算16アンダーで優勝。94年の日本シリーズに続く公式戦2勝目を飾る。
- ジョン・デイリー
コーリー・ペイビン
スティーブ・エルキントン - 阪神淡路大震災が発生。オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こす。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1994
(平成6年) - 合田 洋/レイクグリーン
- プロ入り10年目、ノーシードの合田洋が2位に5打差をつけて迎えた最終日、ジャンボの激しい追撃をかわしツアー初優勝を公式戦で飾った。
- ニック・プライス
アーニー・エルス
ニック・プライス - 大江健三郎のノーベル文学賞受賞が決まる。アイルトン・セナが、フェンスに激突し死亡する。34歳。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1993
(平成5年) - 尾崎将司/スポーツ振興
- 一時尾崎将司、中島常幸、陳志忠、米山剛が通算9アンダーで並ぶ混戦の中、17番で尾崎がバーディーを奪って抜け出し、今大会最多の5度目の優勝を飾った。
- グレグ・ノーマン
リー・ジャンセン
ポール・エイジンガー - 皇太子と小和田雅子さんの結婚の儀が宮中の賢所で行われる。 細川連立内閣が発足。
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ゴルフ殿堂
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- 1992
(平成4年) - 倉本昌弘/下秋間
- 最終日、強風を克服した倉本昌弘と中島常幸の二人のプレーオフとなり、中島の猛追をかわした倉本が10年ぶり2度目の優勝を挙げた。
- ニック・ファルド
トム・カイト
ニック・プライス - 東海道新幹線「のぞみ」が営業を開始。日本人毛利衛が乗船したスペースシャトル「エンデバー」が打ち上げられる。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1991
(平成3年) - 尾崎将司/プレステージ
- 尾崎将司は国内最少タイ記録11アンダー61で2位に6打差をつけて逆転優勝。日本プロ4勝の史上最多記録とともに、日本男子プロ初の通算70勝を記録した。
- イアンベーカー・フィンチ
ペイン・スチュアート
ジョン・デイリー - 雲仙・普賢岳で最大規模の火砕流が発生。多国籍軍がイラクに対して攻撃を開始し湾岸戦争に突入する。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1990
(平成2年) - 加瀬秀樹/大阪・天野山
- 青木功、尾崎将司は海外ツアー、中島常幸は風邪で不参加と本命不在の今大会。豪打の加瀬秀樹は3日目に通算12アンダーでトップに躍進。最終日も粘りのゴルフでプロ8年目、ツアー初優勝を掴んだ。
- ニック・ファルド
ヘール・アーウィン
ワイン・グレディー - イラク軍がクウェート領内に侵攻し、全土を制圧する(湾岸危機)。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1989
(平成1年) - 尾崎将司/烏山城
- 第2日、2番ホールでホールインワンを記録した尾崎将司が通算6アンダーで首位に躍進。第3日も首位を堅守した尾崎は台風による強い風雨の最終日、猛練習で鍛えた精神力で嵐を克服、3回目の優勝を飾った。
- マーク・カルカベッキア
カーチス・ストレンジ
ペイン・スチュアート - 昭和天皇裕仁が崩御する。87歳。皇太子の明仁親王が新天皇に践祚し、昭和が終わる。ベルリンの壁が事実上撤廃される。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1988
(昭和63年) - 尾崎健夫/愛媛
- 小雨の最終日、1万6千の大観衆。首位に4打差5位でスタートした尾崎健夫は16番でイーグルを記録するなど64の驚異的なスコアで見事2度目の優勝を奪う。
- セベ・バレステロス
カーチス・ストレンジ
ジェフ・スルーマン - リクルート事件で、リクルートの江副浩正会長が引責辞任する。ソウルオリンピック陸上100mで金メダルを獲得したベン・ジョンソンがドーピングテストで失格。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1987
(昭和62年) - デビット・イシイ/浜野
- 第2日、ブライアン・ジョーンズとデビット・イシイがスコアを伸ばし首位に。第3日も外人勢が強く、迎えた最終日イシイが手堅くまとめ、外国人選手に門戸を解放した記念すべき第1回目の日本プロを制した。
- ニック・ファルド
スコット・シンプソン
ラリー・ネルソン - ゴッホの「ひまわり」を安田火災が手数料込み58億円で落札する。石原裕次郎、没。52歳。元祖太陽族の俳優。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1986
(昭和61年) - 青木 功/日本ライン
- 久し振りの青木功と尾崎将司のAO対決となった最終日、うだるような暑さにめげずスコアを伸ばした青木に凱歌が上がり、これで日本プロ3勝目を達成した。
- グレグ・ノーマン
レイモンド・フロイド
ボブ・ツエー - ベトナムの双生児のベトちゃん、ドクちゃんが治療のため来日。フィリピンでアキノ政権誕生。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1985
(昭和60年) - 尾崎健夫/セントラル
- 前回優勝の中島常幸が全米プロ出場と主役を欠いた大会は大混戦。そのサバイバルレースで生き残った尾崎健夫と公式戦男の金井清一のプレーオフ1ホール目、金井がパーのところを尾崎は6メートルのパットを沈め、初の日本一に輝いた。
- サンディー・ライル
アンディー・ノース
ヒューバート・グリーン - つくば科学博覧会開催。日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹山の山中に墜落する。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1984
(昭和59年) - 中島常幸/ミナミ菊川
- 中島常幸は第3日、トップに躍進するや「明日は勝ちます」と勝利宣言。最終日、激しく迫る金井清一とデットヒートのすえ、1 6番で振り切り、この大会2連覇を達成。
- セベ・バレステロス
ファジー・ゼラー
リー・トレビノ - 冒険家植村直己が世界初のマッキンリー冬季単独登頂に成功後、消息を断つ。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1983
(昭和58年) - 中島常幸/紫雲
- カナダプロ選手権(2位入賞)で体調を崩し約2週間休養して出場の中島常幸は第3日、単独首位に立ち迎えた最終日、13番で青木功に首位を奪われるが次の14番で10メートルのパットをねじ込んで再び首位に立つ粘りを見せ、6年ぶり2回目の優勝。
- トム・ワトソン
ラリー・ネルソン
ハル・サットン - ゴルフの青木功が、ハワイアン・オープンで初優勝する。千葉県浦安に、東京ディズニーランドがオープンする。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1982
(昭和57年) - 倉本昌弘/名神八日市
- 倉本昌弘は、さきの全英オープン4位の好成績で自信をつけ、最終日の雨天にもめげず3アンダーを出し、4日間60台の通算14アンダーで初優勝した。
- トム・ワトソン
トム・ワトソン
レイモンド・フロイド - 赤坂のホテル・ニュージャパンの9階客室から出火、死者33名、重軽傷29人を数える史上最大の惨事となる。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1981
(昭和56年) - 青木 功/札幌後楽園
- 海外を駆ける青木功が全英オープンと全米プロの間の今大会に必勝を期して出場。最終日、青木は9番で首位の天野勝に並ぶと抜群の読みと勝負強さを発揮して、8年ぶり2回目の優勝。
- ビル・ロジャース
デビット・グラハム
ラリー・ネルソン - イギリス王室チャールズ皇太子がダイアナ・スペンサーと結婚式を挙げる。ロサンゼルスで、三浦和義の妻の一美が銃で撃たれ、重体となる(ロス疑惑)。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1980
(昭和55年) - 山本善隆/ノーザン赤城
- グリーンはおろかティまでアンジュレーションが多くて各選手は苦しむ。最終日、前日5位の山本善隆は68のベストスコアで、追う金井清一と鷹巣南雄を辛くも振り切り昭和50年の雪辱をなしとげた。
- トム・ワトソン
ジャック・ニクラス(2位青木功)
ジャック・ニクラス - トラック運転手の大貫久男が現金1億円入りの風呂敷包みを拾得する。ジョン・レノンが、ニューヨークの自宅前で射殺される。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1979
(昭和54年) - 謝 敏男/浅見
- 謝敏男が2位杉原輝雄に5打差をつけての最終日、杉原は粘り強く追い上げ1 5番で1打差としたが、昭和51年にタイトルを逃している謝はしっかりと持ちこたえ念願の栄冠を獲得。
- セベ・バレステロス
ヘール・アーウィン
デビット・グラハム - ソニーがヘッドホン・ステレオ「ウォークマン」を売出す。東京で、第5回主要先進国首脳会議が開催される(東京サミット)。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1978
(昭和53年) - 小林富士夫/小樽
- 第3日目、尾崎将司が首位、青木功が1打差でAO対決と思われたが、最終日AOは自滅。代って小林富士夫が67で急浮上し、中島とプレーオフ。最初の16番で7メートルのパットをねじ込み、若い中島を圧倒して見事優勝。
- ジャック・ニクラス
アンディー・ノース
ジョン・マーフィー - 成田の新東京国際空港が開港となる。池袋に日本一の高層ビル「サンシャイン60」が開館する。王貞治が前人未踏の800号ホームランを放つ。
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コラム
- 1977
(昭和52年) - 中島常幸/日本ライン
- 第2日中島常幸は65で51位から2位に躍進。第3日に67でトップに立ちそのまま逃げ切った。プロ入り3年目22歳の若い中島の勝利は今後に期待を抱かせた。この年からラージボール使用が義務付けられた。
- トム・ワトソン
ヒューバート・グリーン
ラニー・ワドキンス - 樋口久子が、全米女子プロゴルフ選手権で日本人初の優勝を飾る。王貞治選手が国民栄誉賞の第1号を受ける。
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コラム
- 1976
(昭和51年) - 金井清一/球磨
- 金井清一、榎本七郎、安田春雄、謝敏男のサドンデス・プレーオフ。最初の16番で2人が脱落し、金井と榎本の対決となり、2度目の16番で榎本がバンカーにつかまり、結局金井が2度目の栄冠を獲得。
- ジョニー・ミラー
ジェリー・ペイト
デイブ・ストックトン - 東京地検がロッキード事件に関し、田中角栄前首相を逮捕する。モハメド・アリとアントニオ猪木が格闘技世界一を決める試合が行われる。
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- 1975
(昭和50年) - 村上 隆/倉敷
- 村上隆と山本善隆の3ホール制のプレーオフ。最初にバーディを奪った村上が動揺する山本を突き放して優勝。村上はこの年「日本」4冠王となり無類の強さを誇った。
- トム・ワトソン
ルー・グラハム
ジャック・ニクラス - 皇太子夫妻が沖縄を訪問。1968年の3億円事件の時効が成立する。
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コラム
- 1974
(昭和49年) - 尾崎将司/表蔵王国際
- 関東オープン、関東プロに続き青木功の公式戦3冠王が予想されたが、打倒青木に闘志を燃やす尾崎将司が、第1日67、第2日68、第3日66と快調に飛ばして、青木の連覇を阻止した。青木は結局4打差の2位浮上が精一杯だった。
- ゲイリー・プレーヤー
ヘール・アーウィン
リー・トレビノ - 原子力船「むつ」に放射能漏れが起り、帰港反対運動が起る。 ハイセイコーが引退する。
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- 1973
(昭和48年) - 青木 功/岐阜関
- 公式戦では関東プロに2勝した青木功のワンマンショーだった。第1日目64という驚異的なスコアでトップに立つと、結局2位に8打差をつけて13アンダーでゆうゆうの優勝。ここにAO時代を迎えた。
- トム・ワイズコフ
ジョニー・ミラー
ジャック・ニクラス - オイルショックで灯油、チリ紙、洗剤など不足でパニック。巨人軍がプロ野球史上初の9連覇を達成する。
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- 1972
(昭和47年) - 金井清一/紫すみれ
- 尾崎将司の驀進にストップをかけるのは誰かと注目されたこの大会、金井清一は最終日10番で逆転されたが無心にプレーを続け、14番で再逆転して見事初優勝。
- リー・トレビノ
ジャック・ニクラス
ゲイリー・プレーヤー - グァム島で、元日本兵の横井庄一が発見され帰国する。 連合赤軍浅間山荘事件発生。
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- 1971
(昭和46年) - 尾崎将司/フェニックス
- 今大会から4日制に変更されたが第2日目が雨で中止になり結果的に3日競技。尾崎将司はドライバー、パットとも絶好調。追い上げる杉本英世を振り切って初優勝。甲子園のエース、7年目の晴れ姿であった。
- リー・トレビノ
リー・トレビノ
ジャック・ニクラス - 天皇皇后、ヨーロッパ訪問。
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- 1970
(昭和45年) - 佐藤精一/水海道
- 尾崎将司が公式戦でデビューの年、パワーゴルフ時代幕開きの年だったが、林由郎門下の小兵で職人ゴルフの粋を見せる佐藤精一が、日本オープン(昭和41年)、関東プロ(昭和42年)に続いてビックタイトルを獲得。
- ジャック・ニクラス
トニー・ジャクリン
デイブ・ストックトン - 赤軍派9人が日航機よど号をハイジャックし北朝鮮へ向かう。大阪で万国博覧会が開催される。
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- 1969
(昭和44年) - 石井裕士/春日井
- 最終日は午後の第4ラウンド中に激しい雷雨があり、プレー中止になったが石井裕士、日吉定雄、鈴村久のトップグループには伝わらずそのままプレー。石井が終盤独走の11アンダーで初の栄冠を獲得。
- トニー・ジャクリン
オービル・ムーディー
レイモンド・フロイド - 東名高速道路が全線開通する。アメリカのアポロ11号が月面に着陸する。
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- 1968
(昭和43年) - 島田幸作/習志野
- 最終日第3ラウンドを終えて鈴村照男がトップで1打差に島田幸作、村上隆、青木功と続く。第4ラウンドのアウトを終えて青木がトップに立つが、インで乱れて後退。24歳の島田は18番でバーディを決めて初優勝。
- ゲイリー・プレーヤー
リー・トレビノ
ジュリアス・ボロス - 小笠原諸島が23年ぶりに日本に復帰し、東京都に属する。
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- 1967
(昭和42年) - 宮本省三/三好
- 最終日トップの内田繁は優勝を意識しすぎて後退。前日5位の宮本省三が気楽に攻めパットが良く決まり68,68と追い上げて通算12アンダーで初優勝
- ロベルト・デビセンゾ
ジャック・ニクラス
ドン・ジャニュアリー - 吉田茂元首相の国葬が行われる。ミニスカートの女王ツイッギーが来日する。
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- 1966
(昭和41年) - 河野光隆/総武
- 最終日第3ラウンドを終えて内田繁が16アンダーと独走。9アンダー7打差の河野光隆は優勝圏外と思われたが、第4ラウンドで猛烈な追い込みを見せ、64という快スコアで優勝。まさに神がかりのプレーだった。
- ジャック・ニクラス
ビリー・キャスパー
アル・ガイバーガー - 日本の人口が1億人を突破する。ザ・ビートルズが来日。
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- 1965
(昭和40年) - 河野光隆/川越
- 今大会から入場が有料となった。新進23歳の河野光隆が、前日首位の陳清波と師匠小野光一と最終日組んだが、第4ラウンドで驚異的な65のコース新記録を出し通算15アンダーの公式戦国内最高記録で優勝。
- ピーター・トンプソン
ゲイリー・プレーヤー
デイブ・マー - 吉展ちゃん事件解決。朝永振一郎のノーベル物理学賞が決まる。
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- 1964
(昭和39年) - 橘田 規/枚方
- 前年覇者の橘田規は最終日の午前のラウンドでやや調子を崩し、一時は石井朝夫と鈴村久に追い抜かれるが、午後のラウンドの10番から3連続バーディをもぎとり、見事2連覇を飾った。
- トニー・レマ
ケン・ベンチュリー
ボビー・ニコルス - 東京オリンピック開催。94ヵ国5541人が参加。東海道新幹線が開業する。
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- 1963
(昭和38年) - 橘田 規/竜ヶ崎
- 小柄だが水平打法で距離の出る橘田規はややショットを乱しながらも、今大会中3パットなしというショートゲームが冴え、12年ぶりに関西選手の優勝者となった。
- ボブ・チャールス
ジュリアス・ボロス
ジャック・ニクラス - 黒部渓谷に7年の難工事の黒四ダムが完成する。ケネディが、遊説先のテキサス州ダラスで頭を撃たれる。
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- 1962
(昭和37年) - 中村寅吉/四日市
- 参加者が初めて100名を超える。47歳の中村寅吉は心配された体力の衰えを微塵も見せず、堅実なプレーを展開。前年の林由郎に次いで4人目の日本プロ4勝を記録した。
- アーノルド・パーマー
ジャック・ニクラス
ゲイリー・プレーヤー - 堀江謙一のマーメイド号が太平洋単独横断してサンフランシスコに到着する。
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コラム
- 1961
(昭和36年) - 林 由郎/古賀
- 今回から試合形式が3日間72ホールのストロークプレーとなる。最終日、午前のラウンドで林由郎と藤井義将が競り合い、午後は一時林が3打リードしたが藤井は15番で追いつく。しかし林は16番でバーディをもぎとり、有利にプレーを進め優勝。日本プロ4回制覇。
- アーノルド・パーマー
ジーン・リッター
ジェリー・バーバー - スポーツ史上初のテレビ・カラー放送が大相撲の中継。チャップリンが来日する。
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コラム
- 1960
(昭和35年) - 棚網良平/大洗
- 優勝候補が脱落する中、抜け出したのは棚網良平と細石憲二、ともに初の決勝進出。棚網は細石に大抵アウト・ドライブされたが、絶妙のアプローチで耐え、17番で待望の1アップとし18番を分けて逆転勝ちした。
- ケル・ナグレ
アーノルド・パーマー
ジェイ・ハーバート - 安保改定阻止第2次実力行使。学生が国会に突入し警官隊と衝突する。東大生樺美智子が死亡する。ハイライト(初のロングサイズのタバコ)が発売される。
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- 1959
(昭和34年) - 中村寅吉/茨木
- カナダカップに優勝した時のパートナーで同じ程ヶ谷一門の中村寅吉と小野光一の決勝となった。パットに定評のある中村は全く崩れず史上タイの3連覇を達成した。今回から日本プロゴルフ協会の主催となる。
- ゲイリー・プレーヤー
ビリー・キャスパー
ボブ・ロスバーグ - 皇太子明仁親王(25)と正田美智子さん(24)の結婚式が皇居賢所で古式ゆかしく挙行される。北朝鮮への帰国船第1船が新潟を出港する。
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ゴルフ殿堂
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- 1958
(昭和33年) - 中村寅吉/猪名川
- 前年カナダカップで個人優勝した絶好調の中村寅吉は決勝で昨年同様栗原甲子男と対戦。全くミスのないプレーに終始し、栗原に付け込むスキを見せなかった。日本プロ2連覇。
- ピーター・トムソン
トミー・ボルト
ドゥ・フィンスターワールド - 日本が国連安保理非常任理事国に就任する。日清食品が、お湯をかけて3分間で食べられる「即席チキンラーメン」を発売する。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1957
(昭和32年) - 中村寅吉/程ヶ谷
- 実力がありながらマッチプレーにもろく惜しいところで負けていた中村寅吉がついに日本プロに初優勝。中村は1アップで迎えた最終ホール、2打目をピン60センチに付け栗原甲子男を下した。日本プロゴルフ協会(PGA)創立。初代理事長に安田幸吉就任。第5回カナダ・カップ大会が霞ヶ関CCで開催。中村寅吉・小野光一の日本チームが団体優勝、中村寅吉 が個人優勝。
- ボビー・ロック
ディック・メイヤー
ライオネル・ハバート - 日ソ漁業協定が調印される。選抜高校野球で、早稲田実業(投手は王貞治)が高知商業を破って優勝する。
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- 1956
(昭和31年) - 林 由郎/名古屋和合
- 着実に勝ち進んだベテランの林由郎は決勝で新井常吉と対戦。林はドライバーで280ヤード飛ばす圧倒的な強さを示し、日本プロ3勝目を記録。
- ピーター・トムソン
ケリー・ミドリコフ
ジャック・バーグ - 第34回芥川賞が、石原慎太郎の「太陽の季節」に与えられる。南極観測船「宗谷」が初めて東京を出港。
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ゴルフ殿堂
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- 1955
(昭和30年) - 小野光一/相模
- 小野光一は日本プロの決勝に進むこと4度目で、ついに念願の優勝を果たした。宿敵林由郎との決勝は延長に持ち込まれた大熱戦の39ホール目、9メートルのロングパットを沈めて死闘に終止符を打った。
- ピーター・トムソン
ジャック・フレック
ダグ・フォード - 後楽園ゆうえんちが開場し、ジェットコースターが登場する。
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ゴルフ殿堂
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- 1954
(昭和29年) - 石井 茂/広野
- 低い球筋で攻める石井茂は準決勝で強雨の中、一方的に島村祐正を退けた。雨上がりの晴天の決勝、実力的に優位と見られた小野光一は本大会で冴える石井に自滅の形で敗れた。
- ピーター・トムソン
エド・ファーゴ
チック・ハーバート - 1円未満の小銭が廃止される。東宝映画「ゴジラ」が封切られる。
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- 1953
(昭和28年) - 陳 清水/我孫子
- 我孫子だけに林由郎の優勝が予想されたが、陳清水は前年のオープンの覇者中村寅吉を破り決勝に進出。林と陳は雨の中、互角の熱戦を展開したが、陳が昭和17年に続いて2勝目をあげた。
- ベン・ホーガン
ベン・ホーガン
ウォルター・バーキモ - 中国引揚げ船の第1船の興安丸が舞鶴に入港する。日本テレビが民放初のテレビ本放送を開始する。
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- 1952
(昭和27年) - 井上清次/相模
- 井上清次は着実に勝ち進み決勝でベテランの陳清水と対戦。昭和17年の関東プロで陳を破って優勝したことのある井上は余裕があり、巧妙にピンチを切り抜け初の栄冠を手中にした。
- ボビー・ロック
ジュリアス・ボロス
ジム・ターネサ - サンフランシスコ平和条約が締結される。日本PTAが結成される。
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- 1951
(昭和26年) - 石井哲雄/広野
- 地元の新進で石井哲雄は決勝で関東の雄中村寅吉と対戦。石井の2アップを必死で追う中村は午後の15番の絶好のチャンスを生かせず、ついに17番で勝負がついた。石井、無欲の勝利。
- マックス・フォールナー
ベン・ホーガン
サム・スニード - 手塚治虫が雑誌「少年」4月号から「鉄腕アトム」の連載を開始する。日米安全保障条約が調印。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1950
(昭和25年) - 林 由郎/我孫子
- 林由郎はこの年、戦後初めて行われた日本オープンで優勝。その勢いを駆って中村寅吉、小野光一を圧倒的強さで破り見事2連覇を飾った。
- ボビー・ロック
ベン・ホーガン
チャンドラー・ハーパー - 聖徳太子の千円札が発行される。北朝鮮軍がソウルを占領する「朝鮮戦争」勃発。
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- 1949
(昭和24年) - 林 由郎/我孫子
- 昭和22年に月例競技が関東では復活。戦後第1回の日本プロは2日間72ホールのストロークプレーで開催された。林由郎は2位の小野光一に2打差の293で優勝した。優勝賞金3万円。
- ボビー・ロック
ケリー・ミドリコフ
サム・スニード - 1ドル=360円の単一為替レートが決まる。湯川秀樹京大教授に対するノーベル物理学賞授与が発表される。
-
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1943
(昭和18年) - /
- 第2次大戦の戦況悪化および敗戦のため中止。昭和18年8月9日霞ヶ関東コースで開催された関東プロが戦時下最後の試合。
- 1942
(昭和17年) - 陳 清水/小金井
- 配給制となっていたボールも3月には打ち切られプロも数多く徴兵徴用される状況下、陳清水は延徳春を大差で下した。これが第2次大戦下、最後の日本プロとなった。
- 中止
中止
サム・スニード - 日本のミッドウェイ攻略の海戦が始る。日本海軍は主力空母4隻、搭載全機263機を失う。
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- 1941
(昭和16年) - 大会中止/
- 全国的行事は政府主催でないものは開催出来ないことになり、主催の日本ゴルフ協会は開催を中止した。
- 中止
クレイグ・ウッド
ビク・ゲジー - 日本軍が、ハワイ真珠湾を攻撃。米英に宣戦布告する。
- 1940
(昭和15年) - 戸田藤一郎/福岡大保
- 福岡出身の藤井武人はパット絶好調の戸田藤一郎に歯が立たず戸田は日本プロ3連覇。君が代斉唱、優勝者による国旗収納、皇居遥拝があり大会は終わった。
- 中止
ローソン・リットル
バイロン・ネルソン - ゴルフの帝王となるジャック・ニクラウス誕生。第2次近衛文麿内閣が成立する。陸相には東条英機が就任。野球連盟が英語の使用を禁止。
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- 1939
(昭和14年) - 戸田藤一郎/川奈富士
- 今に伝える「戸田・宮本の川奈の決勝」の名勝負は戸田藤一郎の連覇で幕を閉じた。さらに戸田はこの年日本オープン、関西プロ、関西オープンを制しており年間グランドスラムを樹立した。
- リチャード・バートン
バイロン・ネルソン
ヘンリー・ピッカード - 国民徴兵令が公布される。 アメリカが日米通商条約破棄を通告する。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1938
(昭和13年) - 戸田藤一郎/宝塚
- 試合前選手一同は君が代合唱、皇居遥拝、出征兵士の武運長久と戦死者の冥福を祈念して幕を開けた。猛練習で左手を痛めた戸田藤一郎は予選で苦しんだが、決勝では井上清次を着実に押さえ込み圧勝した。
- R.A.ウィットコム
ラルフ・ガルダヒ
ポール・ランヤン - 閣議が、第1 2回オリンピック東京大会の中止を決定。
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ゴルフ殿堂
コラム
- 1937
(昭和12年) - 上堅岩一/鷹之台
- 決勝は冷たい秋雨と風の中で行われ、寒さで実力を発揮できない台湾育ちの陳清水を上堅岩一はOBを続出しながらも粘り強くプレーして接戦の末、栄えある選手権を獲得した。
- ヘンリー・コットン
ラルフ・ガルダヒ
デニー・シュッテ - ヘレン・ケラーが来日する。双葉山が第3 5代横綱に昇進する。
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- 1936
(昭和11年) - 宮本留吉/名古屋和合
- 有力選手が次々と敗れる番狂わせの中、優勝候補の宮本留吉は期待通りに勝ち進み森岡二郎と対戦し、難しいグリーンをたくみに攻め日本プロ4勝目を記録した。
- アルフレッド・パーマン
トニー・マレノ
デニー・シュッテ - 「2.26事件」発生。帝国議会新議事堂(国会議事堂)が落成する。
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- 1935
(昭和10年) - 戸田藤一郎/相模
- 準決勝では関西勢は戸田藤一郎ひとりになったが、小池国喜代に大差で圧勝。決勝では陳を各ホールでオーバードライブし、ついに13番で20歳の若武者・戸田が栄冠を手にした。
- アルフレッド・ペリー
サム・パークイスJr
ジョニー・リボルタ - 東京中央卸売市場(築地市場)が開場する。日本ペンクラブが創立される。初代会長には島崎藤村が就任。
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- 1934
(昭和9年) - 宮本留吉/広野
- 関西の風水害のため開催2日前に茨木から広野に開催地を変更、今回から16名入選となる。試合は決勝で宮本留吉が地元の石井治作と対戦し、雨の中、パットに優れた宮本は3-1で石井を抑えて、日本プロ3勝目。
- ヘンリー・コットン
オリン・デュトラ
ポール・ランヤン - 溥儀が満州国の皇帝に即位する。東郷平八郎海軍元帥が国葬となる(初の国葬)。
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- 1933
(昭和8年) - ラリー・モンテス/藤沢
- モンテスが準決勝で事実上の決勝戦ともいえる浅見緑蔵との対決を5-3で下し、決勝では林万福の捨て身の戦いを軽くかわして、6-5で大勝した。日本プロ選手権初めての連覇。
- デニー・シュッテ
ジョニー・グッドマン
ジーン・サラゼン - 日本が国際連盟を正式に脱退。ヒットラーがドイツ首相に就任し、ナチスが政権を獲得する。
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- 1932
(昭和7年) - ラリー・モンテス/猪名川
- この年突如来日したフィリピンの俊才モンテスは当時全盛の宮本留吉、浅見緑蔵を抑え、メダリストになり、決勝では森岡二郎を4-3と、疾風迅雷のデビューで優勝。その華麗で繊細な技術は日本のプロの及ばないものがあった。
- ジーン・サラゼン
ジーン・サラゼン
オリン・デュトラ - 「5.15事件」発生。第1回日本ダービーが開催される。喜劇王チャップリンが来日。
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- 1931
(昭和6年) - 浅見緑蔵/藤ヶ谷
- ゴルフ界統一のためJGA主催となり、試合もストロークプレーで8名入選としマッチプレーで争うことになった。決勝は除隊後破竹の勢いの浅見緑蔵が、各ホールを手堅く攻め31ホール目6-5の大差で陳清水を下した。
- トミー・アーマー
ビリー・バーク
トム・クリービー - 読売新聞社の招待で米大リーグ選抜チームが来日する。トーマス・エジソン没。
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- 1930
(昭和5年) - 村木 章/宝塚
- 浅見緑蔵は兵役中、宮本留吉と安田幸吉は来日の米国アマとの親善試合に出場と当時の3強豪は欠場したこの大会は地元の村木章が2位に19打差で完勝した。これは勝者と2位との差の日本最高記録。
- ボビー・ジョーンズ
ボビー・ジョーンズ
トミー・アーマー - ボビー・ジョーンズが、史上初のグランドスラムを達成。ロンドン海軍軍縮条約調印。
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- 1929
(昭和4年) - 宮本留吉/六実
- 初めて関東で開催され、競技も72ホールとなった。東京日日の飛行機で空からの始球式という派手な幕開け。試合は宮本留吉が安田幸吉に11打差をつける、危なげのない独走の優勝だった。前年優勝の浅見緑蔵は兵役で欠場。
- ウォルター・ヘーゲン
ボビー・ジョーンズ
レオ・ディーゲル - 日本ロータリークラブの第1回大会が開催。上越線の清水トンネルが開通。長さは東洋一。
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- 1928
(昭和3年) - 浅見緑蔵/鳴尾
- 日本オープンの雪辱を期する安田幸吉が、好調で最終ホールまで浅見緑蔵と激しく争った。浅見は最終ホール危うかったが、見事なバンカーからの寄せでパーにおさめ、1打差で逃げ切った。
- ウォルター・ヘーゲン
ジョニー・ファーレル
レオ・ディーゲル - 野口英世没。大相撲のラジオ実況放送が開始される。
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- 1927
(昭和2年) - 中上数一/茨木
- 中上数一と宮本留吉が153の対スコアで並び優勝は翌日のプレーオフに持ち込まれた。マッチプレーのような展開の中、終始強引に攻める宮本に対し中上は慎重にプレーを続け、ついに1打差で優勝。
- ボビー・ジョーンズ
トミー・アーマー
ウォルター・ヘーゲン - 大正天皇の大喪の礼が行われる。芥川龍之介没。
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