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2020 第7回マルハンカップ 太平洋クラブシニア

〔マルハン太平洋シニア〕夢の共演・ドリームチャリティーゴルフ


 兵庫県神戸市に横屋ゴルフ・アソシエーションが開場したのは1904年。創設者ウィリアム・ジョン・ロビンソンの専属キャディーとなり、同時にロビンソン氏からゴルフを学んだのは福井覚治だった。やがて同県に舞子カンツリー倶楽部が設立され、福井はキャディーマスター兼プロとして採用される。こうしてプロゴルファー第1号が誕生したのは1920年。今年はプロゴルファー生誕100周年を迎えた。

 

 記念すべき年に「マルハンカップ 太平洋クラブシニア」を主催する株式会社マルハンから「プロゴルファー生誕100周年」と銘打ってイベント開催したいという打診があったことを倉本昌弘PGA会長は明かした。

 

 

 そんな経緯があってマルハンカップの大会終了の翌日である8月31日に、太平洋クラブ御殿場コースで「プロゴルファー生誕100周年 青木・中嶋・倉本 ドリームチャリティゴルフ」が開かれた。ツアー通算25勝以上を飾った永久シード3選手。日本人選手として米ツアー初優勝を遂げた青木功(ツアー通算51勝)、日本タイトル7冠の中嶋常幸(同48勝)、全英オープン4位の日本人選手最高順位を挙げた倉本昌弘(同30勝)がコースに会した。三選手の通算勝利数の合計は129勝にも及ぶ。日本のツアー界を牽引して来た「レジェンド」の共演だ。

 

 

 ドリームチャリティゴルフは御殿場コースの9ホール(5、6、7、13~18番ホール)をピックアップ。ティーショットは担当制、セカンドショット以降はスクランブル方式を採用。バーディー以上一つにつき100万円を開催地である御殿場市の新型コロナウイルス感染症対策推進基金に寄贈するのが開催主旨である。

 

 

 スタートティーでは選手紹介が行われ、レジェンドたちのプレーを一目見ようと集まった727人のギャラリーたちは笑顔を浮かべながら拍手を送った。スタート5番パー4ホール。「現役時代、このホールはボギーばっかり。もしパーセーブ以上だったら何回勝てたことか」と青木が話し、ギャラリーたちの笑いを誘い、場が和んだ。

 

 

 早速2ピン距離のバーディーチャンスを倉本が作り上げた。青木が真剣にラインを読み始める。「青木さん、競技ではなくチーム戦ですから、ラインを教えてくださいよ」と倉本。緩いスライスと読んで打ったバーディーパットは惜しくも外れる。中嶋のパットはオンラインだったが、カップ手前に止まる。「秋(のVISA太平洋の超高速グリーン)とは違って、今はまだ夏だった」と苦笑い。最後のバーディー奪取チャンスを託された青木が、パット名手らしくなくショート。「最後の選手がショートはないでしょ!」。倉本はそう声を掛けてギャラリーのタメ息を打ち消した。和やかなムードの中でチャリティゴルフは繰り広げられた。

 

 

 9ホールで5バーディーを奪取。ホールアウト後、18番グリーン脇で若林洋平御殿場市長に寄贈額500万円と記されたボードが3選手から手渡され、大きな拍手が湧き上がった。

 

 プロゴルファー生誕100周年を迎えられたことに対し、「プロスポーツとして確立されましたが、支えて下さるスポンサーや協会があってのこと。ここまで順調に歩んで来ましたが、この歩みをさらに進めたならプロゴルファーの価値は上がって行くと思う」と中嶋。倉本は福井の二人の息子もプロゴルファーとなり、その一人である福井康夫からゴルフの手ほどきを受けたという。「プロ生誕から100年、私がPGA会長であるのも何かのご縁かも知れません」と話した。

 

 

 これからのプロ未来像に関して青木は「若い人たちからあんな選手になりたいと言ってもらえたり、目標になったりする選手が出てくるようにやっていきたい」と意気込みを語った。「多くのゴルファーに愛されるプロゴルファーになっていければと思う」と中嶋。最後に倉本は「二分化して行くと思う。人に教えるプロゴルファーと、トーナメントで戦うプロゴルファーです。人に教えるプロゴルファーはスキルをもっと向上させていかなければなりません。トーナメントプロは、私たち(PGA)が底辺で新しいゴルフを作り続けてツアーに提供するという形になるだとう思います」と話した。

 

 コロナ禍の中にあって、プロ生誕100周年のイベントを実施できたことは、プロゴルフ界に新たな足跡を残せたはずだ。