2023 SEED PLAYERSPLAYERS INDEX
![]() ISAO AOKI青木 功 |
シード資格 | ①1973年ツアー制施行後に25勝した者 | ||
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所属 | フリー | |||
生年月日 | 1942(S17)年8月31日 | |||
身長 | 180cm | 体重 | 78kg | |
血液型 | B型 | 趣味 | 釣り | |
出身地 | 千葉県 | 出身校 | 我孫子中学校 | |
ゴルフ歴 | 14歳~ | 師弟関係 | 林由郎 | |
得意クラブ | サンドウェッジ、パター | スポーツ歴 | 野球 | |
ベストスコア | 60 | 着用ウェア | テーラーメイド | |
使用クラブ | テーラーメイド | プロ入会 | 1964年12月1日 |
優勝
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'73以降ツアー51回(ツアー外5回)
関東プロ(71)関東プロ(72)中日クラウンズ、日本プロ、ペプシトーナメント、札幌とうきゅう、KBC オーガスタ、コールドベック(73)関東オープン、関東プロ、産報クラシック、日本プロ東西対抗、日英対抗(74)中日クラウンズ、関東オープン(75)東海クラシック(76)東北クラシック、ABCカップ・日米対抗、ジュンクラシック(77)中日クラウンズ、札幌とうきゅう、日本プロマッチプレー、ABCカップ・日米対抗、日本シリーズ、関東プロ(78)中日クラウンズ、日本プロマッチプレー、日本シリーズ、関東プロ(79)中日クラウンズ、よみうりオープン、KBCオーガスタ、ジュンクラシック、関東オープン(80)静岡オープン、日本プロ、日本プロマッチプレー(81)日本プロマッチプレー(82)札幌とうきゅう、日本オープン、日本シリーズ、関東プロ(83)日本プロ、札幌とうきゅう、KBCオーガスタ、関東オープン(86)ダンロップオープン、全日空オープン、日本オープン、日本シリーズ(87)東海クラシック、カシオオープン(89)三菱ギャラン(90)ブリヂストンオープン(91)三菱ギャラン、カシオオープン(92)
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シニアツアー7回(ツアー外2回)
日本シニアオープン(94)アメリカンエキスプレスグランドスラム、日本シニアオープン(95)日本シニアオープン(96)日本シニアオープン(97)N.CUPシニア(00)N.CUPシニア(02)日本シニアオープン(07)鬼ノ城シニア(08)
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海外7回
ワールドマッチプレー(78)オールドソーンズ招待(82)ハワイアンオープン、欧州オープン(83)日英対抗(84)フレッドメイカーチャレンジ(87)コカコーラクラシック(89)
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海外シニア9回
ネーションワイド選手権(92)バンクワンクラシック、ブリックヤードクロッシング選手権(94)バンク・オブ・ボストン・クラシック(95)ベルサウス・クラシック、クローガークラシック(96)エメラルド・コースト・クラシック(97)ベルサウス・シニアクラシック(98)インスティネットクラシック(02)
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海外スーパーシニア3回
クローガークラシック、グレーターヒッコリークラシック、ジョージアパシフィックグランドチャンピオンズ(03)
日本ゴルフツアー機構(JGTO)の会長として、JGTOツアー(レギュラーツアー)のかじ取りをしている。コロナ禍の中で、開催への苦労も多かったが、男子ツアー盛り上げにむけて奔走している。会長就任とともに、トーナメントへの出場からは離れている。1964年にプロ入りし、71年に関東プロで初優勝。尾崎将司とともに70年代の「AO時代」、中嶋常幸を加えた80年代の「AON時代」と、常にツアーの中心にいた。レギュラーツアーでは5度の賞金王を獲得。83年ハワイアンオープンでは最終日最終18番パー5で第3打を直接入れるイーグルを奪い、日本選手初の米ツアー制覇を果たすなど、日・米・欧・豪の世界4大ツアーで優勝する快挙を達成した。92年にシニア入り後、米チャンピオンズツアーに参戦し、9勝を挙げた。シニアツアーは日本シニアオープン5勝など7勝。2007年日本シニアオープンでは最終日65歳で65のエージシュートをマークして優勝の離れ業を演じている。04年世界ゴルフ殿堂入り、08年紫綬褒章受章、13年日本プロゴルフ殿堂入り。15年秋の叙勲で旭日小綬章を授与される栄誉に輝いた。「記録」と「伝説」を生んできた真の「レジェンド」は、今後も日本のゴルフ界発展のために、精力的な活動を続けて行く。