2023 SEED PLAYERSPLAYERS INDEX
![]() Masashi Ozaki尾崎 将司 |
シード資格 | ①1973年ツアー制施行後に25勝した者 | ||
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所属 | I.S.T | |||
生年月日 | 1947(S22)年1月24日 | |||
身長 | 181cm | 体重 | 90kg | |
血液型 | B型 | 趣味 | 盆栽 | |
出身地 | 徳島県 | 出身校 | 徳島海南高校 | |
ゴルフ歴 | 19歳~ | 師弟関係 | ||
得意クラブ | ドライバー、サンドウェッジ | スポーツ歴 | 野球 | |
ベストスコア | 着用ウェア | オリジナル | ||
使用クラブ | プロ入会 | 1970年4月1日 |
優勝
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'73以降ツアー94回(ツアー外18回)
日本プロ、日米対抗、日本シリーズ、ゴルフダイジェスト、瀬戸内サーキット広島(71)ウィザード、札幌オープン、旭国際、千葉県オープン、関東オープン、ファーストフライト、全日本ダブルス、日本シリーズ、グランドモナーク(72)関東プロ、東海クラシック、太平洋クラブマスターズ、全日空札幌、東北クラシック(73)全日空札幌、東北クラシック、日本プロ、日本オープン、サントリー、日本シリーズ(74)東北クラシック(75)関東オープン、千葉県オープン、広島オープン、産報クラシック(76)ペプシウィルソン、関東オープン、東海クラシック、日本シリーズ(77)ペプシウィルソン、広島オープン(78)ダンロップ国際、フジサンケイクラシック、日本シリーズ(80)関東オープン(82)ジュンクラシック(83)かながわオープン、広島オープン(84)かながわオープン(85)フジサンケイクラシック、日経カップ、マルマン日本海、ジュンクラシック(86)中日クラウンズ、フジサンケイクラシック、ジュンクラシック(87)ダンロップオープン、日経カップ、マルマンオープン、日本オープン、ゴルフダイジェスト、ブリヂストン(88)フジサンケイクラシック、日本プロマッチプレー、仙台放送クラシック、ヨネックスオープン広島、日本プロ、全日空オープン、日本オープン(89)フジサンケイクラシック、ヨネックスオープン広島、マルマンオープン、ダイワKBCオーガスタ(90)日本プロ、ジュンクラシック(91)ダンロップオープン、中日クラウンズ、PGAフィランスロピー、サンコーグランドサマー、全日空オープン、日本オープン、太平洋クラブマスターズ(92)フジサンケイクラシック、日本プロ、ゴルフダイジェスト(93)ダンロップオープン、ヨネックスオープン広島、全日空オープン、日本オープン、ダイワインターナショナル、住友VISA太平洋、ダンロップフェニックス(94)中日クラウンズ、ヨネックスオープン広島、全日空オープン、ダンロップフェニックス、日本シリーズ(95)中日クラウンズ、日本プロ、三菱ギャラン、JCBクラシック仙台、KBCオーガスタ、ジュンクラシック、ダンロップフェニックス、日本シリーズ(96)東建カップ、中日クラウンズ、三菱ギャラン、KBCオーガスタ、ブリヂストン(97)ヨネックスオープン広島、KBCオーガスタ、フィリップモリス(98)東建カップ、ヨネックスオープン広島(99)サン・クロレラクラシック(00)全日空オープン(02)
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海外1回
ニュージーランドPGA(72)
永久シード選手としてレギュラーツアーへのこだわりをみせながらも、コロナ禍での出場自粛もあり、今後のレギュラーツアー復帰は難しくなっていくかもしれない。今は「名伯楽」として若手指導に力を入れている。ジュニアを集めたアカデミーの主宰や、女子ツアーで活躍する原英莉花、笹生優花、西郷真央らを指導するなど、門下生が増えている。そんな「ジャンボ」の輝かしい成績は周知の通り。徳島海南高時代に高校野球春の選抜大会でエースとして優勝。プロ野球西鉄に入団したが、力を出せずに4年で退団。ゴルフに転向し、1970年にプロ入り。その豪快な飛距離で71年日本プロに初優勝。「ジャンボ」のニックネームでゴルフブームを巻き起こした。前人未到の100勝の大台を突破して112勝(73年以降のツアー93勝)と海外では72年ニュージーランドPGAを制し、積み上げた勝ち星は113勝。特筆すべきは賞金王12回で、うち9回は40歳を過ぎてから達成している。「若手の壁」として、丸山茂樹らの挑戦をはねのけ、ゴルフ界の活性化に力を尽くしてきた。2002年全日空オープンでは55歳7カ月29日でツアー制施行以来の最年長優勝記録を樹立。66歳で出場した13年つるやオープン初日に63をマークし、史上初のレギュラーツアーでのエージシュートを達成した。2010年に世界ゴルフ殿堂入りしている。