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第88回(2021年)
キムソンヒョンが逆転でツアー初Vを日本プロで飾る

通算13アンダーでツアー初優勝を決めたキムソンヒョン
2021年の「第88回日本プロゴルフ選手権大会」は、栃木県・日光カンツリー倶楽部で開催。最終日、首位と2打差からスタートした韓国のキムソンヒョンが、通算13アンダーをマークし、逆転でツアー初優勝を日本プロで飾った。22歳9カ月での優勝は戦後では最年少記録となった。
第1ラウンド

道具もショット力も整った木下裕太が首位発進
「第88回日本プロゴルフ選手権大会」第1ラウンド。6アンダーで首位に立ったのは木下裕太。首位に1打差の2位には芦沢宗臣、岩田寛、古庄紀彦、キムソンヒョン、片山晋呉の5名が続く。前回覇者の石川遼は4アンダー7位につけている。
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ゴルフはメンタルスポーツと言われる。動揺したり、不安を抱えたりしていたなら、それがショットやパットに表れ、思うような結果は得られなくなってしまう。心の水面に波風を立てず、18ホールを穏やかにプレーしたい。インコース10番ホール、午前スタート1組目(13組)の木下裕太が6アンダー、ボギーフリーの65でフィニッシュし、単独首位で初日を終えた。
15、16番ホールで連続バーディー奪取して折り返し、後半のアウトコースでは3連続バーディーを含む4バーディーとさらにスコアを伸ばした「100点出来過ぎ」(木下)ゴルフ。「朝イチでボギーを先行させずに済んだ」12番パー3ホールでのパーセーブがこの日の好スコアに結びついたと振り返った。
「ティーショットをミスし、2打目を寄せ切れず、3メートルのパーパットが残りましたが、それをうまく入れられたことでバーディーを量産できたと思います」。6バーディーの中で、最も長かった距離は5メートル。続いて4メートルが二つ。残り3バーディーは距離2メートル以内だったほど、ショットの切れが冴えた。
2018年のマイナビABCチャンピオンシップでツアー初優勝を飾り、2年シードを得た木下は、さらなる高みを目指して様々なドライバー、アイアンを使い始めた。持ち球に至ってはフェードボールからドローボールに変え始めた。風の中でも距離ロスを抑えられると考えたからだ。だが、試合ごとにクラブを換えてばかりいたことから、イメージどおりのショットを打てない原因がスイングにあるのか、クラブのせいなのかが分からなくなり、スコアを出せない。ショットに対する不安が募る。自分のゴルフにさえ不信感を覚え始め、成績を出せない日々が続いていた。攻める気持ちさえ萎えていた。
優勝による2年シード権が21年で終わる。そのお陰で気持ちを切り替えられた。思い切りやるしかない。かつての持ち球フェードボールに戻し、ドライバーヘッドは前年使っていたモデルを流用し、シャフトをリシャフト。しなりを生かしてボールが捕まりやすい、中調子のベンタス レッド(硬度X)がハマった。「フェードはもちろん、ドローを打ちたい時はシャフトのしなりを利かせるように振るだけのシンプルさです。アイアン(選び)もようやく落ち着きました」。木下が、それを実感したのが前試合ダンロップ・スリクソン福島オープン第3ラウンドだったという。7バーディー・1ボギー66、最終日も66をマークした(結果14位タイ)。久しぶりの好スコア、好感触で初Vを遂げた頃の自信を取り戻せた。「これで楽しみができたと思ったら、(日本プロ)初日に6バーディー、おまけにノーボギーです。ドライバーでのティーショットはフェアウエイを捕らえたし、アイアンショットはピンに絡み、パットはチャンスで入ってくれました」と頬を緩ませた。
開催舞台は、持ち球フェードボールの選手にアドバンテージがあるコースデザイン。「基本的にはフェードボールで攻めてフェアウエイをキープできました。練習ラウンドで好スコアが出そうな予感はありました」。愛用ドライバー、アイアンが落ち着いたことで木下は「かつての攻める気持ち」を取り戻したのかも知れない。パターの話が出てこないことで、尋ねた。「結局、初優勝した時の2ボールパターに戻しました」。
この日マークしたスコアは自己ベスト66を1打更新した。2勝目を飾るための道具もショット力も、心もどうやら整った様子。この好発進を生かすだけだ。
第2ラウンド

芦沢宗臣がしぶとくバーディーを重ね、8アンダー首位タイ
日本プロゴルフ選手権の第2ラウンド。初日3アンダー11位スタートの今平周吾が6バーディー1ボギー・66ストロークをマークし通算8アンダーで首位。5アンダー2位スタートの芦沢宗臣もスコアを3つ伸ばし今平と首位に並んだ。1打差3位には谷原秀人、石川遼、片山晋呉、山本豪の4名が続いている。142ストローク、イーブンパー54位タイまでの67名が決勝ラウンドに駒を進めた。
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通算5アンダー・2位タイでアウトコースからスタートした芦沢宗臣・26歳は、2番パー4ホールで躓いてしまった。ピンまで109ヤードの2打目を左に引っ掛け、3打目のラフからのアプローチショットを寄せ切れず、ボギーにしてしまったのだ。「出だしから、流れがあまり良くないな」と感じる。それでも次ホールからはしぶとくパーセーブし続けた。6番パー4ホール。ピンまで残り130ヤードの2打目を「外してはいけないエリアに打ってしまいましたが、10ヤードほどの寄せ(3打目)がチップインして良かったです」。このバーディーで流れが一気に良くなった。7番ホールで8メートル、9番ホールでは1メートルのバーディーパットを決める。10番パー4ホールで3パットのボギーを打ってしまうが、15番ホールで再びチップインバーディーを決め、16番パー3ホールでは5メートルのバーディーパットをねじ込んだ。スコアを通算8アンダーにまで伸ばせた。
芦沢はスコア速報ボードで自分の順位を確認した。自分の名が最上段に掲げられている。首位タイ。17番パー4ホールをパーとして迎えた最終18番パー4ホール。ティーショットでフェアウエイを確実にキャッチする。グリーン左サイドのピンまで残り160ヤード。9番アイアンを選択し、ドローボールでピンに絡めるショットをイメージした。バーディー奪取で単独首位に立てるチャンス。大会2日目にして早くもアドレナリンが出たとは「思いたくありません。単に力が入ってしまっただけです」と芦沢は苦笑い。ボールはグリーン左奥のエッジとラフの境目に転がり落ちた。ボールの真後ろにはメジャー大会ならでは長い芝草があった。決してやさしいアプローチショットではない。スピンを効かせたショットが打ちづらい。それでも、ピン3メートルに寄せ切った。そして芦沢はそのパーパットをねじ込むと右手拳で地面を何度も叩くような力強いガッツポーズを取ったのだった。
大阪府で生まれ育った芦沢はPGAティーチングプロである父・和久から本格的にゴルフの手ほどきを受けた。小学4年生の時だった。同志社大学ゴルフ部時代には関西アマチュア選手権2位、日本学生ゴルフ選手権5位などの戦績を残している。2016年にプロ転向した。本大会には昨20年の最終予選会34位に入ったことで出場している。
今年はツアー出場予選会に失敗していたことから、本大会に照準を絞って来た。前週のAbemaTVツアー大山どりカップでは5位タイとなり、その好調さも持続させている観もある。「ロングヒッターではなく、アイアンショットでバーディーチャンスを作っていくタイプです。ティーショットでフェアウエイをキープできているのが、好スコアにつながっていると思います」。ツアーで首位に立ちながらも謙虚な話しぶりが、その人柄を表している。
リーダーズボードの左サイド最上段にその名を掲げ、この日みせた18番グリーンでのガッツポーズを36ホール後も再現したい。
第3ラウンド

「ギャラリーの声援が力になった」首位・池田勇太が2度目の日本プロVを狙う
日本プロゴルフ選手権大会の第3ラウンドは、14位スタートの池田勇太が7バーディー・ボギーフリー64をマークし、通算12アンダーで首位逆転。1打差2位には5つスコアを伸ばした稲森佑貴。さらに1打差10アンダーには、キムソンヒョンが後を追う。前回大会覇者の石川遼はスコアを3つ落とし4アンダー27位と後退した。
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第3ラウンド、ムービングサタデーの主役に躍り出たのは、通算5アンダー・14位タイからスタートした池田勇太だった。2番パー4ホールでこの日最初のバーディーを奪うと4番パー5ホールで確実にバーディーを取り、8、9番ホールでは連続バーディーを決めた。後半に入っても危なげないプレーを続け、スコアをさらに3つ伸ばす。結局7バーディー・ノーボギー64、通算12アンダー単独首位に立った。
「(大会)3日間、ショットがいい形で打てている。好調さを保てているから、パット(の出来)次第だとは思っていました。癖のあるグリーンだけに(ラウンドを重ねるごとに)決め切れない数が減って来てのスコア」だと池田。「グリーン上で考えることが多い。芝目に傾斜、アンジュレーション。これらに惑わされず、外すことも想定し、どうケリをつけながら回る(パットする)かだ」と付け加えた。初日のスコア70(パット数32)、2日目67(同28)、3日目64(同30)。バーディー数は初日から3、5、7と日に日に増えている。
2003年には日本オープンが開催されたこの大会舞台・日光カンツリー倶楽部。ツアープロに初めて伍した当時アマチュアの池田は、19位タイの成績を残し、ローエストアマに輝いた。「このコースは自分にとって(ゴルフ人生の)スタート地点だし、プロ初優勝が日本プロだった」と振り返る。コースも大会にも不思議な縁を感じているのだ。
2021年は開幕戦から思うような成績を残せずにいた。5月上旬の「ジャパン プレーヤーズ選手権」初開催に向け尽力し、裏方として奔走し、自分のゴルフどころではなかったからだ。同選手権が成功裏に終わったものの、池田は「腑抜け状態」に陥り、自分のゴルフが出来ず仕舞いだったのだ。しかし、2週間のオープンウイークが心身をリフレッシュさせ、良い休息となり、そしてスイッチが入った。これまで日本オープンのタイトルを2回手にしている。「日本プロで、もう一度勝ちたい」。この大会に照準を定め、準備を整え始める。前週の試合では最終日に66の好スコアをマークして12位タイの成績を挙げて、今大会に臨めた。「あるべき姿が戻って来たかな。ギャラリーが居る中でプレーしないと池田勇太が出て来ない。今日もギャラリー(の声援)が背中を押してくれた」と有観客試合でプレーを素直に喜ぶ。そんなギャラリーへの恩返しは「2度目の日本プロV」、思い出のコースでの優勝しかない。
「(明日の自身の)コンディションを見極め、1ホール1ホールをクリアして行ったなら、自ずと結果はついて来ると思う」。勝負強い池田の復活を見せつける絶好の舞台は整ったようだ。
最終ラウンド

逆転ツアー初優勝!ステディープレーで自分のゴルフを信じたキムソンヒョン
首位と2打差の通算10アンダーからスタートしたキムソンヒョンが逆転優勝を飾り、ツアー初優勝をメジャー大会で挙げた。
キムはスタート1番パー4ホールで3メートルのバーディーパットを決める。4番パー5ホールでは6メートルをねじ込み、首位を走る池田勇太を捕らえた。続く5番パー4ホールで寄らず入らずのボギーを叩いたものの、9番パー5ホールで1.5メートルを沈めてバーディー奪取。通算12アンダーの首位タイで折り返した。サンデーバックナインに入ると、一時は首位に4選手が並ぶ大混戦となった。
最終組のキムが17番パー4ホールを迎えた時には、通算13アンダーでキム、稲森佑貴、池田勇太が首位に並んでいた。このホールで池田がボギーを叩き、キムはパー、そして稲森は4メートルの「入りそうな」バーディーチャンスを作っていた。結果はパー。「打ち出した時にタッチが弱そうに見えたのですが、思った以上に切れたのには驚きました」とキム。
稲森との一騎打ちとなった最終18番パー4ホール。キムは持ち前のビッグドライブでフェアウエイを捕らえた。稲森の2打目がグリーンを捕らえられず、右サイドのラフへ消えた。それを見たキムは「ピンをデッドに攻めようと思っていましたが、無理をせず、センター狙いにショットプランを変えました」。ステディープレーでグリーンキャッチ、そして2パットに収めて、ボギーを叩いた稲森を突き放す形でキムは頂点に立ったのだった。
「今日は決してスムーズにスコアをまとめられたわけではありません。それでも、最後まで諦めず集中して出来たのが勝因に繋がったと思います」とキムは勝因を話す。
この優勝で日本ツアー5年シードを獲得した。将来は米ツアーでプレーすることを目標にしている金にとっては心強い橋頭保を作り上げたことになる。コロナ禍によって来日できず、韓国ツアーでは出場できる資格もない状況で、マンデートーナメント挑戦から出場したレギュラーツアーの韓国PGA選手権で優勝したという。22歳での日本プロゴルフ選手権優勝は戦後での最年少記録。獲得賞金は「貯金をして米ツアー挑戦費用に充てます」とキム。コースマネジメントと同じく、堅実さが際立つ「シンデレラボーイ」が誕生した「第88回日本プロゴルフ選手権」が閉幕した。